ウイニングポストプレイ日記③ カウンテスアップを最強種牡馬に!! 1983年
2年目、1983年に突入しました。
1981年産まれのカウンテスアップは、この年にデビューすることになります。
とりあえず10月にデビューして短期放牧を入れ、そのまま全日本2歳優駿に向かうのが大体のプラン。
全日本2歳優駿を勝てば、ドバイにも参戦できます。
…しかし、そう甘くは行きませんでした。
まず初めに、順調に進むと思っていた育成。
ソエを発症し、3週間も休むという結果になってしまいました。
…これは大誤算。
デビュー戦が、大幅に遅れました。
入厩したのが、8月4週。
そこから仕上げて、デビュー戦は11月1週の東京ダート1600㍍。鞍上は久保村騎手(現実では横山義行騎手と思われる)で、断然の一番人気。
…まあ、ここは負けるはずありません。
1着から6着まで全て着順通り。
3連単が410円て…。まあこの時代に3連単があることが前提としておかしいんですが。
そして1週放牧を挟み、全日本2歳優駿に向かったのですが…。
調子〇ですと!?
…まあまあ、どうせメンバー弱い…。
え?
グレートローマン!?
…笑えない。
マジで笑えなくなりました。
そうでした。
『新潟の英雄』グレートローマンと、我らがカウンテスアップは同い年。
岩手のダービーにあたる不来方賞で、火花を散らした間柄です(カウンテスアップが勝利、グレートローマンは1馬身差の2着)。
これは厳しい戦いになる予感がします。
鞍上は引き続き久保村騎手。ただ、調子と距離(1600㍍は適正より200㍍短い)が気になります。
1枠1番だったので、デビュー戦は先行でしたが逃げを指示。
いざ尋常に、勝負!!
嗚呼哀哉。
見事に差し切られました。
そりゃそうだよなあ。
考えてみれば、デビューが遅すぎました。
デビュー戦なんてカウンテスアップの実力なら調子悪くても勝てるんだから、もっと早くすればよかった。
1週放牧は競争寿命を考えると、外せないので…。
正直、リロードしようか悩みました、はい。
でもそれだと自分に負ける気がするので、ぐっとこらえました。
ドバイのために芝重賞に出すことも考えましたが、やっぱりやめ。
JDDを目指すことにします。
その他としては、まず繫殖牝馬セリで次の2頭を買いました。
…アメリカンノーザンとカウンテスアップって、つけられるのか不安になってきました…。
海外馬セリでは、この馬。
母名よりカウンテスフレークと命名。カウンテスアップの子を元気に産んでもらいましょう。。
カウンテスアップ以外の馬の成績です。前のブログで1982年の成績を載せるのを忘れたので、それも載せておきます。
カウンテスジュピタ
カウンテスマツカゼ
カウンテススパーブ
カウンテスジュピタは、小倉ダート1700㍍レコード樹立。
それでは、また次回、1984年編でお会いしましょう。